協力隊参加の意義

協力隊OBの方のキャリアについて、1つの事例をご紹介したい。

・大学卒業後、とある専門職で、日本で数年勤務。仕事は現場に張り付くタイプのもの。
・協力隊に応募、仕事上関係ある分野の省庁に配属され、政策立案を担当。
・2年の任期終了を待たず、任期短縮。そのまま海外大学院に進学。関連学位を取得(現場よりの学位ではなく、政策系学位)。
・帰国後、現場の仕事には戻らずアドミニストレーター系の仕事に転向。政策分野から途上国支援に関わる。

この事例、どう思われるだろうか?僕は、協力隊への参加を転機とした、華麗なキャリア転向と見る。間接的に聞いた話では、元々いつかはこういったキャリアの転向を考えていたみたいで、そのきっかけになりそうな協力隊の話があったので迷わず応募した、ということらしい。

一方で、協力隊自体の活動を疎かにしているんじゃないかという見方も存在する。そもそも2年の任期を全うしていないし、活動自体は入念な準備を伴い、語学力にも優れリーダーシップを伴ったものだったらしいが、それをうまく自分の大学院進学のための実績としたという見方もある。

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協力隊というのは一定の層をとても惹き付ける経験みたいで、中学生の頃からずっと行きたかったですみたいな人がかなり多い。ただ僕は、
・協力隊参加がゴールになっている
・協力隊事業を無批判で賞賛する
思想が好きになれない。
※好きになれないのはそういう「思想」であってそういう「人」ではない。何言ってるかわかりにくいけど。

あえて極論っぽく言うけど、協力隊は、
・ステップアップとして割り切る。
あるいは
・休暇として割り切る。
のが正しいと僕は思っている。

JICAボランティアというのは、大きく分けて、
(1)国際協力(途上国の人の役に立つ)
(2)日本人青少年の育成
がその事業目的だと言われる。

でも、本当に派遣先の途上国の人のためになりたいのであれば成果を問われるプロを送るべきだし(ボランティアは成果を問われる機会に乏しい)、青少年の育成が目的であればやっぱり成果を問うべきだ(成果を問われずして成長ができるのだろうか?客観的な評価を問わずして、自分で成長しましたと言うのは、多くの場合あんまり説得力を伴わないだろう。だから人は人を評価するとき、推薦状とか、成績表とか、他人によってその人を評価した指標を求めるわけで)。

長年続く協力隊事業の中身が(今年50周年ということだ)、色々と議論がありそうながらも今の形のまま続いているのは、たぶん政策立案の一番上流のところ(JICAよりもっと上のところ)の影響がたぶん強いんだろうなーとぼんやりと思っているところではあるが、
※たぶん、国際協力という成果を算定するのが難しい分野の中で、本質的なレベルでコストと成果を丁寧に比較して検討するよりも、日本がどの国に何人派遣しているという数字の実績は、日本の外交上わかりやすい意味を持つのだと思う。

ともあれ、制度として、
・誰かの役に立つにも
・自分を成長させるにも
中途半端な制度であるとは思う。

ただ、
・協力隊経験、実績を転機だったりステップアップとして、自分のその後の人生に役立てる
・ゆるいボランティア活動をこなしながら余りある余暇の時間でエンジョイする
には意義のある制度だということだ。

前者だと、例えば、普通では行けない国や地域に行けるわけで、そこで得たネットワークや情報が派遣後の人生にダイレクトに生きる可能性がある。その国、その地域絡みで派遣後次の仕事に繋げられる可能性もあるし、そこで研究材料を集めて論文を書くこともできる。

2年間で得た語学力、人脈はその国や地域で引き続き働くことを希望する場合大きな武器だし、途上国のような、現地にその身で乗り込んで、かつ現地の人との信頼関係がないとお目当ての情報にアクセスしづらいところにあって、2年間の派遣経験があるからこそ得られる情報は研究を差別化するにはかなり有効なはずだ。

実際にアフリカで起業した元商社マンに現地事務所社員として雇われた協力隊経験者の事例を知っているし、協力隊中、あるいは協力隊後にその国でフィールドワークをして、その成果をもとに修士論文なり博士論文を書き、結果研究者として職を得た元隊員も複数名知っている。

後者は、言葉そのまま。あんまりひどいと誰かに言われて帰国せざるを得ないケースもなくはないかもしれないが、基本はどんなにさぼっていても誰も何も言わない。というか言ってくれない(陰では言われるだろうけど)。これは協力隊事業が批判される際、よく出てくる論点でもある。

なので「協力隊の2年間というスパンのみで考えて」「本当に」途上国の問題を解決したい人は協力隊にはほとんどいないはずだ。その2年間で何かを確実に解決したい人は、本当に問題を解決できるやり方でもってそれに関わろうとするはずだから。逆に2年間は2年間である程度割り切って、その次にもっと効果的に問題を解決できるところに行くためのステップとして参加する人は一定数いるように感じるし、それが賢いと思う。
※これは協力隊事業が意図する1つの目的でもあるように感じるけど、実際に2年間の国際協力現場での経験があると何かと繋がる次のステージも多い。
※本当に途上国の問題を解決したい人というのは、例えばこういう会社・仕組みを立ち上げるような方を意図している。
http://www.mother-house.jp/
http://www.living-in-peace.org/
僕の感覚だと、今の若い世代でこういう類の問題解決に対して本気で本当に優秀な人は、公共セクターからではなく市場原理の中に入っていって、その中から問題解決をはかる人が多くなっているように思う。

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最初にあげた例の話に戻りたい。

仮にこの方の活動自体が現地のニーズから外れた、自分の実績づくりに走っただけのものだったとしよう。それでもそれを少なくとも大学院は評価し合格させ、その一連の経験を評価されたからこそアドミニストレーター系の仕事に見事キャリアチェンジを図れた。協力隊参加をきっかけに新たに習得した専門性を活かし、協力隊時代よりもさらに多くの成果を今の仕事で出し、これからも出し続けるだろう。その意味で、このケースは協力隊参加ケースとしての典型的な成功例の1つだと僕は考える。協力隊をきっかけに人生の可能性を広げ、道を切り開くことに成功しているからだ。

1つの事業が立案され運営されるとき、いつしか企画立案した側が持つ意図から離れ、事業自体が別の目的を持ってしまうことはよくあるんじゃないかと思う。今回の話で言えば、元々協力隊事業は国際協力や青少年の育成を意図し企画され運営されてきたが、
・お金をもらいながら海外で生活できるなどの事業としての好条件、
・協力隊活動にロマンがあるイメージ創出への成功などから、
いつしか一部の層を熱烈に惹き付ける性格を持つに至った。それは真に途上国に貢献したいだとか、本当に自分を成長させようだとか、そういったものが全くゼロなわけじゃもちろんないけど、少しそういうものとは違う、独特の魅力を伴った何かに惹き付けられる人たちを多く生み出してきたように思う。

今は昔ほど手当などの待遇もよくはなく(日本が昔ほど豊かでなくなった、というだけだと思う)、その意味での条件は相対的に悪くなっている。ただ依然、一部の層を強く惹き付ける不思議な魅力を持った事業だ。

ここ数年猛烈に働いたから2年間(短期ボランティアの1年とかでも)少し海外にボランティアにでも行こうとか、自分のキャリアの転換点、あるいは飛躍のきっかけとして機能しそうな案件をしっかり選び応募をして今後のキャリアに還元しようだとか、もっとそういう見方で協力隊事業を見る人が増えていいと僕は思う。

途上国の支援をピュアに考えている人にとっては独りよがりな考え方に聞こえるかもしれない。でも上に書いたとおり途上国支援をピュアに考えるならば協力隊参加はベストな選択肢ではないし、実際色んな隊員を見ていても、考え方は良くも悪くもそれぞれに独りよがりであるのが事実だと思う。

ここまで読んでいただいて、言い訳がましいように聞こえるかもしれないが、自分では結構ピュアな考え方をしているつもりだ。まずは自分が最大限に力を発揮できる分野で力を持つ。そうしてこそ、社会に、世界に一番貢献できる。だから最初の事例を例としてあげたわけだけど、そういうことだと思っている。