多様性

協力隊に参加中は、籍は総務課に置いていただいていた(休職しての参加)。
協力隊は任国に派遣前に2か月とちょっと、合宿形式で事前国内訓練というものを受ける。僕は年度の1次隊だったので、4月中旬くらいから駒ケ根のJICAの研修所に入る予定だった。ので確か4月1日だけ出勤してその後事前国内訓練に入るまでは年休処理にしていただき、研修所入所日に自己啓発等休業を開始する、という段取りで人事の方に服務を組んでいただいた(と記憶している)。
※ちなみに帰国日は3月下旬で、3月末までは休業期間、4月1日から復職というスケジュール。1週間ないくらいの間に健康診断、帰国後研修、携帯電話復活、住民票戻すetcの諸々の処理などを行い、現職隊員の帰国してから復職までの期間はせわしない。あと僕は南国隊員で、日焼け止めもなにも塗らない生活だったので、帰国してしばらくはお前どんだけ黒いんだと同期などによく突っ込まれていた(のを記憶している)。

で4月1日だけ出勤して、といっても仕事なんてほぼせず、挨拶やら服務上の事務処理などをしただけ。総務課付になる職員は毎年誰かしらいて、僕みたいな自己啓発等休業は相当レアだと思うが(少なくとも自分は聞いたことがない)、よくあるケースは他の団体への派遣組や大学院派遣組などが総務課付になる。
年度初めなので、どこの課でも異動してきた職員が課内で紹介される時間が設けられる。〜課から異動されてきた〜さんです、て感じで紹介されていき、拍手でぱちぱち、というのが人数分続いて、人数が多いので最後に異動してきた人の中で一番職位が上の方が代表して挨拶って感じだった(たぶん)。

僕も他の団体派遣、大学院派遣の方と一緒に紹介されたのだが、何せ僕の場合は自己啓発等休業って何?なんで途上国に派遣されるの?てかどこその国、アフリカ?何してくるの井戸でも掘ってくんの?、と?マーク続出の職員だったはずなので(課内ではある程度事情は共有されていたのかもしれないけど)、わけのわからないままその挨拶の時間が終わるよりかは、せめてもの誠意として、簡単に休職の経緯(青年海外協力隊制度を利用して、とかその派遣国に決まったいきさつ、とか)をその挨拶の場で説明したくて、司会の方にその場で手を挙げてお願いして、本当に簡単にそのあたりを皆さんの前で説明させていただいた。

そう、それを説明するのを僕は誠意だと思っていた。でも、自治体職員が休職して協力隊参加することの是非はここでは別にして(制度としては休職を許す制度はあるがそれを組織が歓迎するかどうかの話は別にして)、例えイレギュラーなケースをみなさんに説明したいという動機であっても、そういう場で事前の段取りを遮って自分の時間を平職員が設けちゃうというのはTPOへの配慮、理解がなかったことであったことを、当時総務課にいた既知の職員からの指摘を受け初めて自覚した(指摘と言っても「あれよくないよ〜」的なニュアンス)。


都道府県職員というと県庁所在地にある庁舎で働いているイメージも強いかもしれないけど、実際は県内に多くある地域機関で勤務する職員も多い。入庁以来一度も本庁で勤務したことがなく地域機関だけの勤務でキャリアを終える人もいるくらいだ。僕のいる部局だと新卒で入庁して異動2か所目or3か所目で本庁というパターンが多く、最初は地域機関と本庁の違いに多かれ少なかれ戸惑う職員も多いと思われる。

自分も御多分に漏れずで、本庁で初めて働いたのは入庁してからだいぶ経ってからだった。決裁ラインが比較的短い地域機関に比べて(一般的に地域機関は平職員と所属長との距離が近い)本庁は決裁ラインが長い、つまり何かを決めるのに許可を得なくてはいけない人がとても多く、意思決定のプロセスがとても強固に、厳密に定められている。
自分が若かりし時?自主勉強会なんてのをやっていたのもそういう縦のラインを意識しにくい、あまり意識しなくていい部署に最初いたからだろうなと今は思うことがある。自主勉強会グループをつくって組織の公認グループにしていただいていたことがあったのだけど、公認してもらう過程で一人メンバーが登録から抜けてしまったことがあった。これは僕にとって少々のトラウマで、なぜかというと、公認のグループにする過程で各登録メンバーの所属長宛に文書で連絡が行き、あなたの所属の〜さんはこういうグループをつくってそのメンバーですよという連絡が行き、それを受けて登録から外れたいという経緯だったからだ。そのメンバーには今でも申し訳ないと思っている。勉強会なんてのをわざわざやって人に迷惑をかけてしまうようであれば本当に意味がないことをやっているに等しい。

もちろん組織に反抗的なやばい何かをやっていたわけではないのだけど、役所みたいな組織が持つ風土の中で、自発的に何かに取り組んでいるグループというのが手放しで賛同されるよりかは、え、なんで仕事以外でそれやってるの、という視線で見られることが多いのは確かだ。グループでやっていること、やってきたことを丁寧に説明して、たくさんの庁内の先輩ゲストに勉強会に来ていただいたことからわかるように、若手がそういうことをやっているのに理解してくれる人が中に多いのも確かなんだけど、少なくともそういうface to faceの説明なしに、勤務時間外でやっている自主的な活動に対して一般的な理解を得るのはあまり簡単なことではない。それがいい悪いじゃなくて、単にそういうカルチャーがあるというだけ。


話は戻って年度当初の挨拶の話。そう、少なくとも僕は本庁カルチャーにどっぷりつかるまでは、今と比べると自由な発想で自由に体が動いていて、だからこそ自分が説明したいと思うことをその場のTPOにもそぐわない形でずかすか発言してしまった。たぶん今同じシチュエーションに自分が立ったら同じことはやらない。いやできない。これもいい悪いじゃなくて、朱に交われば、というやつだ。

たぶん今の組織しか知らない自分であったのであれば、このカルチャーに対しては懐疑的な見方しかできなかっただろうと思う。比較対象として、協力隊のときの話を出したい。
任国各地に散らばる隊員が一堂に集まる機会が定期的にあって、そこでミーティングやら健康診断やらが行われる。ミーティングでは何かしらの意思決定が行われることもあるのだけど、隊員同士特に立場に序列があるわけではもちろんなく、そうするとやはり意思決定のスピードとか質が少なくとも自分から見るとあまりクオリティ高くないことが多いと思っていた。個性が強いあくの強い隊員同士がぎゃーぎゃー言い合いまとまらないみたいな笑 
そういうとき、やっぱり長年にわたる周りの人の評価があってそれを受けて上の立場に立っている人がしかるべき意思決定をして物事が決まっていくというのは組織が安定して高いクオリティで物事を進めていくのに大事なんだなぁとよく思っていた。隊員は自己主張の強い人間の集まりだから(好意的な意味だ笑)、議論がまとまらず紛糾したりするのを見て、あぁやっぱり自分がいた組織のは自分が考えていた柔軟性のない意思決定システムではなくて、それどころかとても優れたシステムなのかもとか思っていた記憶がある。好き勝手言う=活発な意見交換があるのはとても大事なことだとは思うんだけど、何かが決まって物事が円滑に進まなければ本末転倒だ。

組織に属するのは時に窮屈で、時に合理的で、時に没個性的で、時にスマートなんだと思う。

組織には多様性が必須だと心底思っていて、それだけに今自分が属する組織の単一性だとか多様性への耐性のなさにはどうなのかと思うこともままある。だからこそ外の世界を知る人は大事なんじゃないかと思う、というのがなんとなく言いたかったというお話。今中にいる人が外に出るためには、まず空気を読まずに組織のカルチャーを遮る形で手を挙げて、自分の強烈な意思表示をする必要があるけれども。