長時間労働をつくるもの

教員の多忙化、長時間労働の話が話題だ(話題だというには少しタイミング遅れているとは思うが)。小中学校にスクールサポートスタッフを入れて事務仕事の一部を負担させる、タイムカードを導入して勤務時間の管理徹底を図るなどの施策が提言されている。どれも国が一律に導入する施策としては自分には文句のつけようがないものだけど、現場にいる実感としては、こういうトップダウンの施策と共にボトムアップからの改善がないと、現実には劇的に事態は解決しないものだと考える。

行政にはマネジメントの概念が欠如しているのではという話は何度かあげてきたと思うが、まちづくり分野で著名な木下氏がこの問題に関しツイートしていた内容が本質を突いているのではと僕は思っている。
https://twitter.com/shoutengai/status/900621011082649604

僕はトップダウンの施策を批判するものでは決してないけど、ボトムアップからの根本的なところの生産性の改善を試みない限りには事態はあまり改善しないのではとは強く思う。

教育職の先生方が事務仕事に追われるというのは本末転倒で、子どもと向き合う時間こそ確保すべきという論点に疑いはないと思うが、次のような点に自分は疑問が残る。

(1)必要のない事務仕事があるのでは?
→国や教育委員会から学校現場に依頼される調査仕事などに本来必要のないものが混じっているのでは?

(2)仕事のお願いの仕方に問題があるのでは?
→学校現場に依頼される調査仕事などで、もっと依頼の仕方ややり方を変えれば効率的にできる仕事があるのでは?

(3)事務仕事のやり方自体に問題があるのでは?
→学校現場で行われている事務仕事はもっと効率よくやれるのでは?

たぶんこれらを解決するには一律的なトップダウン施策だけでは難しいし、1つ1つの仕事を精査し要らないものはなくし、効率性の悪いものについてはやり方を見直すという作業が個々の業務ごとに必要だと思う。それには各校の校長のマネジメント、リーダーシップも必要だろうし、学校現場〜市町村〜都道府県のラインで情報共有をより進めて効率化を1つ1つ進めていく作業も必要だろう。つまり学校という組織内のマネジメント改善や、関連する組織間での連携強化という論点にこそ根本的な原因があるのであって、その解決なくして教員の多忙化問題が解決するとはあまり思えないのだ。

行政側にいる人間の1人として、これはかなり自分事として考えていて、これはやはり学校現場がどうこうとかじゃなくて仕組みを作る側の問題だ。もちろん自分の言っているようなことは国も重々承知で、国の政策として、学校のマネジメント改革も学校と教育委員会の連携の話も、理屈ではおそらく全て問題点も洗い出されていて解決策も理屈としては綺麗に明示されていると思う。ただボトムアップの視点で見ると、問題を解決するのは先生方教育職と行政職の信頼関係に基づいたあるべき業務分担とかであって、これはどこまで言っても人対人の問題であって、個々人の問題になっていくと思う。

仕事を誰かにお願いする際に、自分の業務負担だけではなくお願いされる側の業務負担も考慮するのは時に大変で手間がかかる。それでも、長時間労働の問題の本質は(教員だけの話じゃないけど)、相手の立場の配慮を欠いた仕事の投げ方の積み重ねだと考える。その小さな積み重ねが1人1人の労働時間を延ばすし、全体としての効率性を下げる。なんでこれはとても総合的なマネジメントの話だと思うんだけど、とりあえず末端の職員としては、1つ1つの仕事を、相手の立場に寄り添い丹念に組んでいくことの積み重ねしかないのだと思う。